インターネットの発明は、世界を変えました。
特に近年、SNSの普及によって人と人の繋がり方が劇的に変動しました。
自分の作った作品を、多くの人に見てもらえる
ということです。
資本主義において、リーチできる人数が増えることは
ニッチな産業でビジネスが成立することを意味します。
西洋美術史においてそれは、パトロンのあり方が変容することに対応します。
この記事では、インターネットの発明が西洋美術史に与えた影響を考察します。
本記事は、連載中のタイトル
の(part4)です。
(part1)では、科学の立場から芸術を眺めることの意義を考えました。
(part2)では、カメラの発明が西洋美術史に与えた影響を解説しました。
(part3)では、絵の具・チューブの発明が西洋美術史に与えた影響を解説しました。
いよいよ最終回の本記事(part4)では、インターネットの発明が西洋美術史に与えた影響を解説します。
本記事を読んでいただければ、
科学や芸術が人間にとってどういう意味をもつのか、
人類の歴史を俯瞰した時に科学と芸術はどう連動してきたのか、
などを考えるきっかけになり、様々な教養が身につきます。
昨今のグローバル時代には、科学と芸術は非常に重要な教養の代表格です。
深いテーマ設定ですが、ぜひサクッといきましょう!
【2021】インターネットがイラストに与えた影響は?西洋美術史とお金の関係(part4)
西洋美術の歴史は、お金を持ってる人が誰か?に左右されてきた
本当に当たり前のことなんですが、人はお金がないと生きていけません。
どうやってお金を手に入れるのか?
お金をくれるのは会社、と言いたいところですが、それは現代のお話。
西洋美術史に出てくるような昔の画家たちは、一体どうやって生計を立てていたのでしょうか?
彼らは、お金をくれる人=パトロンからお金をもらっていました。
パトロンには色々な種類がいました。
それぞれ、以下で例を見ていきましょう。
西洋美術史におけるパトロンの例1: 中世、キリスト教の絵解き
中世ヨーロッパでは、キリスト教が流行っていました。
しかし、キリスト教の教えが書かれた聖書は難しい言語に翻訳された後、他の言語への翻訳を禁止されました。
そのため、キリスト教徒でありながら、市民は聖書が読めなかったのです。
教会へ行って教えを乞うしかありませんでした。
教会は、教養ある人しか読めないような制度を作ることで、その権威を独占していたのです。
このような時代、西洋美術はもっぱらキリスト教の絵解きとして機能しました。
文字の読めない民衆が教会を訪れた際に、絵を見ることで聖書の世界観を理解したのです。
例えば中世のゴシックという時代には町の商工業者たちがお金=権力をもち、町に教会を立てました。
その教会には、上で述べたようなキリスト教を絵解きする絵画が飾られました。
ここでは、パトロン=町の商工業者ですね。
西洋美術史におけるパトロンの例2: バロック、ブルジョワ市民の装飾品
バロックという時代、ブルジョワ市民がお金を持ち始めると、応接間に飾るための絵画の需要が高まりました。
友達を家に呼ぶ際、ちょっといい顔をしたいという理由で家の中に静物画を飾ったのです。
静物画は当時の西洋美術では価値が低いジャンルとされていました。
教養のある人にしか理解できないような、宗教画や歴史画などが価値が高いジャンルとされていたのです。
しかし、ブルジョワ市民にはそのような教養はありません。
なので、理解しやすい静物画が好んで描かれたのです。
(今でいう、純文学とライトノベルの関係のようなものが垣間見得ますね。)
ここでは、パトロン=ブルジョワ市民です。
西洋美術史におけるパトロンの例3: ベラスケスなど、宮廷画家として生きる道
他にも、宮廷画家として生きる道もありました。
当時、国の文化レベルを他国に誇示するために、宮廷を絵画で飾るということがありました。
他の国から来た賓者が、
「この国のことをバカにしていたが、これだけ文化レベルが高い国なら実は侮れないのかもしれない」
と思ってもらえれば外交が有利になるというわけです。
宮廷専属の画家を雇い、宮廷の中に部屋を用意して住まわせ、作品を作らせるといったことも行われました。
例えばスペインのフェリペに仕えたベラスケスという画家がいます。
マルガリータ王女の絵で有名ですね。
ここでは王様がパトロンです。
SNS以前は、パトロンの求める絵しか描けなかった
上で見たように、西洋美術の歴史というのは「誰がお金を持っているか?」の歴史でもあります。
パトロンの求める絵を描かなければ、生きていくためのお金がもらえないのです。
なんとなく、「芸術には才能が必要で、実家が太い必要がある」というイメージがある人も多いかもしれません。
それは今までは正しかったのかもしれませんが、ここ十年で一気に事情は変わりつつあります。
それは、SNSの普及によって社会の構造が変わってしまったことによります。
インターネットの普及により、個人のリーチできる人数が激烈に増えた
SNS、例えばツイッターなどが普及したことにより、個人的に制作した作品を誰でも気軽に世界へ発信できる時代になりました。
今こうして私ジャパナードがブログを書いていることも、そしてあなたがこれを読んでいることもこの時代を象徴する出来事なのです。
SNSが普及すると、以前とはくらべものにならないほど大人数に自分の作品を見せることができます。
資本主義の言葉で言うなら、ポテンシャルとしての市場の母数が跳ね上がると言うことです。
これは、ニッチな分野でのビジネスを可能にします。
例を見てみましょう。
東京でしか成立しないラクダ料理屋
東京には変わったお店がたくさんあります。
例えばアフリカ料理を扱っているお店なんかもあって、日本人の平均的な感覚からすると非常に珍しい料理が味わえます。
東京でラクダ料理屋が成立するのはなぜでしょうか?
答えはシンプルで、東京には人がたくさんいるからです。
人がいっぱいいれば、マニアの絶対数が増えます。
割合が小さくても、母数が大きければ人数はそこそこ集まると言う計算です。
同じビジネスを田舎で(具体例を出すと誰かを傷つけそうなので控えます)やろうとしたら、一瞬で潰れるでしょう。
資本主義においては、リーチできる母数が増えることでニッチなビジネスが可能になるのです。
と言うわけで、次のようなことが考えられます。
才能がなくても、頭を使えば絵師として生きていける現代
超絶田舎に済んで超絶節約をすれば、月の収入が15万円でも死にはしないでしょう。
そこで、マニアックな絵を描きまくることを考えます。
例えば、電子を擬人化してクーパー対でラブコメをする漫画を量産してみます。
と言われても意味がわからないと思うんですが、一部界隈では非常に性癖を突かれることを確認済みです。(もしあなたがこのラブコメの面白さに気付いたなら、立派な変態です。おめでとうございます。)
この絵を全世界に配信して、一枚につき10人が、1000円で買ってくれたとします。
すると収入は1万円になります。
月に15万円稼ぐためには、二日に一枚絵を描けば良いことになります。
二日に一枚、1万円の収入が入る絵を描くのは実際には結構厳しいかもしれません。
ですが、この類の作戦はもっと色々工夫すれば実現不可能なものではないでしょう。
(貧しい思いをして、色々なものを失うのは容易に想像できますが……。)
ここで重要なのは、人類の美術の歴史は数千年あるわけですが、このような作戦で画家として生きていけるようになったのはここ10年ちょっとの話だと言うことです。
インターネットの発明によって、才能がなくても、頭を使えば絵師として生きていける時代がやってきました。
これって素晴らしいことですよね。
本シリーズの結論はこちらです。
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