こういった疑問にお答えします。
皆さん、カステラはお好きですか?
カステラといえば、「ちょっと高級なお菓子」といった印象があるかと思います。
あるいは、コンビニの菓子パンコーナーが充実してきた昨今では、「お手軽なおやつ」という印象もあるでしょうか。
そんなカステラについて、皆さんはどれくらいご存知ですか?
中学校の歴史の授業で「カステラはポルトガルから伝わった」というのを習った方もいらっしゃるかもしれませんね。
カステラにまつわる面白い歴史をサクッと学んでいきましょう!
Contents
【わかりやすく】南蛮貿易で日本に伝わったもの「カステラ」!輸入品の食べ物としての歴史はいつから?場所は長崎?相手国は?キリスト教との関係は?語源は?
16世紀、大航海時代、南蛮人がやってきた
世界史で習った「大航海時代」。
他国より科学技術が進んだヨーロッパの国々は、世界へむけて冒険へ出かけました。
その真っ只中である16世紀に、長崎とカステラの関係は始まりました。
歴史の教科書で、「南蛮人」という言葉を見たことがある人も多いでしょう。
南蛮人とは、ポルトガル人とスペイン人のことです。
「南蛮」というのは、奄美王島から東南アジアまでの地域を指す言葉です。
カステラの歴史で重要なポルトガル人が日本の長崎に来るまでのルートは、
ポルトガル(リスボン港)→南アフリカ(喜望峰)→インド(ゴア)→マラッカ→マカオ→長崎(種子島)
というものでした。
日本人にとってみれば、「なんかよくわからんけど南蛮の方からきた人たち」というので「南蛮人」と呼んでいたのでしょう。
16世紀、南蛮人がポルトガルから長崎へやってきました。
南蛮人はカステラを伝えた
南蛮人は様々な品々を携えて日本へやってきました。
例をあげると、
- ビードロ(ガラス)
- タバコ
- 鉄砲
- カルタ
- サラサ(更紗)
- カステラなどの甘いお菓子
などです。
カステラは、16世紀、南蛮人が日本に持ってきたのです。
カステラの語源は「カスティーリャ」という王国
当時のポルトガルでは、カステラのことを「パン・デ・ロー(Pão de Ló)」と呼んでいました。
(今でもPão de LóとGoogle検索するとレシピが出てきます。)
日本では「カステラ」と呼ぶわけですが、これは「カスティーリャ」という王国が語源です。
カスティーリャは下のような国旗をもつ国です。
世界史で「レコンキスタ」を勉強するときに聞き覚えのある方も多いかもしれませんね。
のちのスペインの中核になった王国です。
ポルトガル人にとってみれば、
「パン・デ・ローはカスティーリャから伝わってきたお菓子だよ」
と説明するのは自然ですね。
カスティーリャの発音Castellaが日本語の「カステラ」に近かったので、日本では「カステラ」と呼ぶようになったのです。
甘いカステラは、キリスト教への勧誘に用いられた
南蛮人の中には、キリスト教を日本に広めるために乗船した人も多くいました。
いわゆる「宣教師」で、フランシスコ・ザビエルは有名ですよね。
彼らがキリスト教を布教するとき、物で釣って勧誘することもあったそうです。
1625年に小瀬甫庵が著した『太閤記』では、キリスト教への勧誘のために、
お酒が飲める人にはぶどう酒を、
お酒が飲めない人にはカステラなど甘いお菓子を、
それぞれ用いたという記述があります。
カステラの歴史を振り返ってみると、こんなにも多様な広がりを見せてくれるんですね!
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