【イラスト付き解説】科学技術サイドのイノベーションが西洋美術に与えた影響3選 (part3)絵の具・チューブの発明

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美術館への挑戦(西洋美術史)
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こんにちは、ジャパナード田中です。

このブログでは、「暇で貧乏でインキャな日本人」である私ジャパナードが、色々な挑戦をしていきます。

そして、挑戦の過程で手に入れた有益な情報を皆様にお届けしています。

毎日夜7時に更新しています。

 

本記事は[美術館への挑戦]シリーズの5記事目です。

この[美術館への挑戦]シリーズでは、西洋美術史が大好きな私ジャパナードが、美術関連の話題を語ります。

 

本記事は、連載中のタイトル

科学技術サイドのイノベーションが西洋美術に与えた影響3選

の(part3)です。

 

(part1)では、科学の立場から芸術を眺めることの意義を考えました。

(part2)では、カメラの発明が西洋美術史に与えた影響を解説しました。

本記事(part3)では、絵の具・チューブの発明が西洋美術史に与えた影響を解説します。

 

本記事を読んでいただければ、

科学や芸術が人間にとってどういう意味をもつのか

人類の歴史を俯瞰した時に科学と芸術はどう連動してきたのか、

などを考えるきっかけになり、様々な教養が身につきます。

 

昨今のグローバル時代には、科学と芸術は非常に重要な教養の代表格です。

深いテーマ設定ですが、ぜひサクッといきましょう!

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絵の具がなかった時代、土や岩で色を作っていた

絵の具がなかった時代を想像するのは難しい

本記事では「絵の具・チューブの発明が西洋美術史をどう変えたか?」を解説します。

まずは、絵の具・チューブがなかった時代はどうだったのか、をみていきましょう。

私たちは、絵の具という存在を当たり前に思っていますよね。

生まれた時には、(性能の差こそあれ)すでに絵の具が普及していたはずです。

幼稚園や小学校で、絵の具を使って水彩画を描いた人も多いでしょう。

ですから、絵の具が存在しない世界を想像するのはなかなか難しいですね。

想像を膨らませるために、一つの興味深い絵をみていきましょう。

絵の具がなかった時代の絵、どうやって塗った?

ヨハネス・フェルメール《青いターバンの少女》1665年

こちらはかなり有名な作品ですね。

《真珠の耳飾りの少女》という名前で呼ばれることもありますね。

 

実は、2012年に上野の東京都美術館で展示されたことがあります。

この絵が飾られている美術館(マウリッツハイス美術館)の改修工事に合わせて来日しました。

私ジャパナードも当時見に行きましたが、想像よりもずっと小さな絵でびっくりしたのをよく覚えています。

これ、44 cm×39 cmの絵なんですよ。

A3用紙より一回り大きいくらいですね。

この小さな絵の中で、一人の少女がこちらを見つめています。

その額には、絵のタイトルの通り、青いターバンが巻かれています。

 

さて、当時はまだ絵の具が発明されていませんでした。

「いやいや、フェルメールはこうやって青色を塗っているじゃないか!これは絵の具じゃないのか?!」

と思われた方も多いでしょう。

では、フェルメールは一体どうやってこの青色を塗ったのでしょうか?

金と同じくらい高価な岩を砕いて青を作った

答えは、「岩を砕いて青を作った」です。

その岩(変成岩)はこんな見た目をしています↓

とても綺麗な青色ですね。

名前を「ラピスラズリ」と言います。

「ラピス(lapis)」はラテン語で「岩」という意味です。

(「ラズリ」の方はトルキスタンにあったある場所の名前 lazhward が由来です)

 

有名な産地としてはアフガニスタンのSar-i Sangが知られています。

アフガニスタンと聞けば、この岩を採掘することが容易ではないことが想像されますね。

なぜならここは歴史的に見ても政治的に不安定な場所だからです。

そうなれば、値段も高いだろうな、ということは想像できます。

一説によれば、フェルメールの時代には、金(gold)とこのラピスラズリは同程度の価値があったと言います。

当時の人にとってみれば、金箔が貼られたターバンの絵を見ているような気持ちになったかもしれませんね。

金と青の組み合わせと言えば……仕事終わりのアレ!

「青が金と同じくらい高価だった」

という話を聞けば、

「じゃあ青と金の組み合わせはめっちゃ豪華じゃん!」

という発想が出てきますね。

では、青と金の組み合わせを身の回りで探してみましょう。

はい、成人済みの方ならこれが出てきますね笑

 

このように、色に対して我々が持っているイメージは、遠い昔のことから紐解けます。

私たちは「ある色が貴重だ」とかいう発想はあまりありませんが、昔は違いました。

他にも、色々な例があって、例えば「赤と黒の組み合わせ」です。

昔、布を染める時、赤と黒で綺麗に染めることは大変高度な技術を要しました。

そのため、赤と黒で綺麗に染められた布は高価なものと見なされていました。

昔の王様の絵を見ると、赤や黒のマントを着ている人が多いのはそのためですね。

例えばこんな感じ↓

現代の我々の身の回りにも、この「赤と黒の組み合わせ」によってデザインされた商品がたくさんあります。

皆さんもぜひ探してみてください。

他にも、土や鉱物を調合して色を作っていた

というわけで、フェルメールはラピスラズリという超高級の岩を砕いて色を塗っていたのでした。

その他の画家たちはどうしていたのでしょうか?

答えは、土や鉱物を採集してきて、やはり砕いたり調合して色を作っていたそうです。

私たちの時代には色が簡単に手に入ります。

翻って昔は、「色を作りだす技術」そのものが画家に要求されるスキルの一つだったんですね。

そういう時代には、色を自由に好き勝手使えるわけではありませんでした。

そして、とある歴史的なイベントにより、人類は「色」を簡単に手に入れられるようになります。

果たして、そのイベントとは……。

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産業革命により、絵の具が化学的に合成された

化学工業がめっちゃ発達した

18世紀後半、イギリスで歴史的なイベントが起きました。

そう、産業革命です。

産業革命によって、世界はその仕組みを大きく変えていきました。

特に、その後の化学工業の発展はめざましいものがありました。

比較的簡単に手に入る物質を原料とし、

加熱したり触媒と反応させたりを経て、

めっちゃ便利な物質を合成する。

このプロセスを工場規模で行い、大量に生産する。

そういう仕組みがどんどん整っていった時代ですね。

次々と「色」を作れるようになっていった

この勢いで、絵の具も合成できたら嬉しいですよね。

ここで合成するべきなのは、「合成顔料」と呼ばれる化学物質です。

合成顔料を元にして、私たちが知っている絵の具が完成します。

 

産業革命の中で、合成顔料の製造法が次々に発見されていきました。

合成顔料はとても需要がありましたので、懸賞金がかけられたなんて話もあります。

先ほど述べたラピスラズリの青色も、合成方法が模索されていました。

ラピスラズリの主成分はウルトラマリンです。

このウルトラマリンを人口合成できれば、高価なラピスラズリを使わずにあの美しい青色が表現できるわけです。

そして1826年、ついにフランスの工業化学ジャン・バプティステ・ギメ(Jean-Baptiste Guimet)がウルトラマリンの製造法を見つけます。

このように、産業革命を契機として、人類は手軽に色を手に入れることが可能になったのです。

 

ギメの生い立ち、奪われた名誉

ギメ(1795-1871)はフランスのヴォワロン出身の工業化学者です。

かの有名な、パリにあるエコール・ポリテクニークで学んだのち、

1817年にはAdministration des Poudres et Salpêtresという組織に入りました。

Poudresはフランス語で「粉末」、

Salpêtresはフランス語で「硝石、硝酸カリウム」

という意味です。

専門的な勉強を重ねたことがわかりますね。

先述のように、1826年にはついにウルトラマリンの製造法を発見。

このことが評価され、2年後の1828年にはSociété d’encouragement pour l’industrie nationaleという組織から表彰を受けています。

(この組織はフランスの工業を促進するために1801年に設立されたものです。)

それから彼は仕事を辞め、Fleurieu-sur-Saôneという工場を設立。

ウルトラマリンの普及に貢献しました。

 

……という素晴らしい話なのですが。

ほぼ同時期の1828年、ドイツの化学クリスティアン・グメリン(Christian Gmelin)も独立にウルトラマリンの製造法を発見しました。(シリカ、アルミナ、ナトリウムを使った製造法)

そして、ギメよりも先に製造法を発表してしまいました。

先に見つけていたギメは、製造法を秘密にしていたのです!

というわけで、一般的には「グメリンが初めて見つけた」ということになってしまいました。

せっかく発見した成果はさっさと論文にするべきだ、という教訓が得られますね!

絵の具を入れるチューブも発明された

産業革命により、絵の具(合成顔料)の製造法が次々と確立していきました。

そして、その絵の具を持ち運ぶためのチューブも発明されました。

チューブが発明されたことで、外で色を塗って絵を描けるようになりました。

 

チューブが発明される以前は、外の風景を描く場合も家の中(工房など)で色を塗っていました。

外で風景をスケッチして、そのスケッチを家の中に持ち帰ってから色を塗るのです。

二度手間ですよね。

しかも、色を塗るときはその風景を直接見ながら描けないというデメリットもあります。

光の表現なんかには、致命的なデメリットです。

 

チューブが発明される前、例えばフェルメールの時代なんかには豚の膀胱が使われることもありました。

まぁ豚の腸を使ってソーセージが作れるんですから、豚の膀胱でチューブが作れてもおかしくないですよね。

 

金属製のチューブが初めて発明されたのは1841年のことです。

場所はやはり、イギリスです。

産業革命って本当にすごいですよね。

発明者はジョン・G・ランドで、素材は錫(スズ)でした。

当時、アルミはまだ高価だったようです。

その後、アルミの値段が下がりアルミ製のチューブが作られました。

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絵の具・チューブの発明が西洋美術史に与えた影響

「色の不平等さ」からの解放

というわけで、産業革命のおかげで人類は色に対して二つの意味で「自由」になりました。

1つは、簡単に色を手に入れることができるようになった点。

特定の色が「めっちゃ貴重だから手軽には使えない」みたいな不平等さから解放されたわけです。

もう1つは、簡単に色を持ち運べるようになった点。

外で風景画を描けるようになりました。

 

色に対して自由になった人類は、どのような作品を描くようになったのでしょうか?

明るい色調、印象派の登場

色に対して自由になったことを土台として、人類は明るい色彩の絵を描くようになりました。

例えば現代でいう原宿系のような、彩度と明度が高く色相がばらついている色づかいの絵は、産業革命にはほとんどみられません。

こういった明るい色彩が最も顕著に表れたのは、印象派です。

「そもそも印象派って何?」という話は以前こちらで解説しました。

もしよかったら参考にしてみてください。

印象派といえば、上でリンクを貼った記事で解説したように筆触分割が有名です。

しかし同時に、その色彩の明るさでも有名でしょう。

印象派が人気な理由の一つはこの色彩の明るさだと思います。

例えば、先日ブログで紹介した、現在上野で開催中のコートールド展にも出展されている作品がこちらです↓

クロード・モネ《秋の効果、アルジャントゥイユ》1873年

また、モネで明るい作品といえばこちらも有名ですね(コートールド展には出展されていませんでしたが)。

クロード・モネ《日傘を差す女、 カミーユとジャン・モネ》1875年

結局人間は、周囲の環境に強く依存する

印象派が明るい色彩で表現できたのは、その前に産業革命があったからです。

絵の具・チューブの発明は西洋美術史に大きな影響を与えました。

アートは人間の自発的な文化活動であるかのように捉えられがちですが、実際にはありとあらゆる事柄に強く依存しています。

例えば、産業革命が起こる前の時代に生まれるか、後の時代に生まれるかは選べません。

もしフェルメールが産業革命以降に生まれたらラピスラズリを砕く必要はなかったし、

もしモネが産業革命以前に生まれたら明るい色彩の表現には大きな制約が課せられたでしょう。

本当に人間は、周囲の環境に強く依存しますね。

 

さて現代に生まれた私たちは、デジタルツールの登場により、タッチ一つで自由に色を選べるわけです。

この時代だからこその表現というものが、必ずあるはずですよね。

こうやって歴史的に物事を俯瞰できることが、教養を身に付けることのメリットの一つです。

ジャパナードの挑戦はこれからも続く!

今日はここまで!

本記事は、連載「科学技術サイドのイノベーションが西洋美術に与えた影響3選」の(part3)でした。

(part3)の本記事では、絵の具・チューブの発明が西洋美術史に与えた影響を解説しました。

 

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